『豊臣兄弟!』わずか2歳で秀吉を天下人にした信長の嫡孫!三法師(織田秀信)が歩んだ数奇な生涯 (5/10ページ)

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ただ所領に関しては、本能寺の変直前の織田領は800万石を優に超えていたということから、20万石は余りにも少ないとも言えなくもないのです。

ともあれ清州会議の取り決めにより、三法師は安土へ戻ることになりました。ところがここで、早くも会議の取り決めに破綻が生じます。

織田信孝。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

秀吉の動向を訝しんだ信孝が、勝家と共謀して三法師を岐阜城に留め置いて監視を続けたのです。おそらく信孝としては、三法師を安土に戻せば、秀吉に利用されると考えたのでしょう。

こうして秀吉と信孝・勝家は激しく対立することになります。この三法師をめぐる確執は、1583年(天正11年)4月の賤ヶ岳の合戦へと発展し、その後、勝家も信孝も秀吉の手によって葬り去られることになるのです。

織田家当主となるも、豊臣政権の一大名へ

勝家・信孝の滅亡後、三法師の後見には、織田家の家督代理となった信雄が就任。

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