『豊臣兄弟!』わずか2歳で秀吉を天下人にした信長の嫡孫!三法師(織田秀信)が歩んだ数奇な生涯 (8/10ページ)
こうして秀信は、「岐阜中納言」と称されるようになります。岐阜城は、秀信の父・信忠が信長から任された城でした。
岐阜城。金華山の山上にある模擬天守と岐阜城資料館 (Wikipedia)
同年10月には秀吉に従い参内。このときには羽柴姓・豊臣姓を許され、従三位・中納言にも叙任されました。つまり秀吉は、信長の血を最も濃く受け継ぐこの若者を、豊臣摂関家の一員として遇していたのです。
そして秀信もまた、その厚意に応えるかのように、常に豊臣大名としての立場を貫いていきます。
しかしこのことが、その後の秀信の運命に繋がっていくことになるのです。
関ケ原の戦いで豊臣に殉じた最後の織田宗家1598年(慶長3年)、秀吉が伏見城でその波乱にとんだ63歳の生涯を閉じます。1591年からのこの8年間は、豊臣政権にはさまざまな出来事が起こりました。
朝鮮出兵はもとより、長らく秀吉を支えてきた大和大納言秀長(仲野太賀)と千利休の死。