『豊臣兄弟!』本能寺の変“その時”織田信長の長男・信忠はどこへ?光秀「現場にいなかった説」を史実から探る (2/7ページ)
信長の長男で織田家の当主・織田信忠(小関裕太)は、「京都の妙覚寺」にいました。
信忠は父・信長(小栗旬)とともに、備中高松城を包囲中の羽柴秀吉(池松壮亮)への援軍に向かうべく、妙覚寺に滞在していたのです。信長が京都に訪れたのは20回ほどですが、そのうち18回はここを利用したとか。
寺の19世日饒上人は、濃姫の父・斎藤道三の子であった縁からだそうです。
また、一向宗(浄土真宗)や比叡山(天台宗)と対立していたため、対抗できるだけの力のある日蓮宗寺院である妙覚寺を選んだ……という側面もあるそう。
信忠は、「明智軍の本能寺襲撃」の知らせを聞き、すぐに本能寺に援軍に駆けつけようとしました。
ところが、妙覚寺を出発しようとしたところ、家臣の村井貞勝父子が「本能寺は焼け落ちた。」という知らせをもたらします。
さらに、「こちら(妙覚寺)にも攻めてくるので、構えも堅固で立てこもるには最適な二条新御所(二条城)に移られるよう」と進言。
「いやいや、安土城に戻るように」と進める家臣もいたものの、信忠は、二条城に移動します。
「このような謀反を起こすほどゆえ、やすやすと逃がしはしないだろう。逃げたうえに雑兵の手により殺されてはのちのちまでの織田家の恥。二条新御所にて腹を切る」といったそうです。