『豊臣兄弟!』本能寺の変“その時”織田信長の長男・信忠はどこへ?光秀「現場にいなかった説」を史実から探る (6/7ページ)

Japaaan

「そのとき」は、実は鳥羽にいたという明智光秀。(NHK「豊臣兄弟!」公式「X」より)

光秀は鳥羽にいた

「光秀ハ 鳥羽ニ ヒカエタリ(光秀は鳥羽に控えたり)」

『乙夜之書物』にある記述。つまり光秀は本能寺には行かずに、本能寺から南に7kmちょっと先の「鳥羽」で控えていたということです。

一方、信長がいる本能寺へは、重臣の「明知弥平次」(明智秀満)と「斎藤内蔵助」(利三)が「弐千余騎」を率いて攻め寄せたと記しています。

ドラマの中でも、本能寺で「狙うのは信長ただ一人。必ず見つけ出せ!」と指揮を出したのは斎藤利三(内藤剛志)でしたね。

本能寺を約13,000人の明智軍が問い囲んで襲撃したときに、真っ先に突入したのが斎藤利三だったともいわれています。

また、当時の公家の日記には「日向守内斎藤蔵助、今度謀反随一也」という一文が残されているそうです。

この文は、「このたびの謀反の張本人は斎藤利三」という意味と、「このたびの謀反でもっとも手柄をあげたのは斎藤利三」という意味の二通りの解釈があります。

ドラマ内では、炎に包まれた寺の中で「お覚悟を」と信長の目の前に光秀が現れました。信長は、「お前じゃない」と斬り捨てましたが、それは幻影。この「現場にはいなかった説」を採用したからでしょうか。

『乙夜之書物』によると、「光秀は鳥羽にいた」説の証言は斎藤利三の三男・斎藤利宗だそうです。

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