なぜ皇室典範に「譲位」はなかったのか?上皇陛下の生前退位で浮かび上がった明治政府の思惑 (3/7ページ)
伊藤はその理由について、1889年(明治22年)に刊行された『皇室典範義解』の中で「権臣の強迫により両統互立を例とするに至る。しかして南北朝の乱またここに源因せり。(権力を持つ臣下による圧力や介入によって皇位継承が乱れ、結果として南北朝の争乱を招いたのである)」と述べている。
つまり伊藤は、天皇が自ら譲位の意思を示すことが可能になると、周囲の政治勢力(権臣)がこれを乱用し、皇位継承に不当な影響をおよぼす危険性があるとしたのである。
王政復古と「天皇一世一元」の理念そしてもう一つ、皇室典範に譲位の規定がない理由がある。それは明治政府が打ち出した「王政復古」と大きく関係していた。
これは、明治新政府が掲げた政治理念で、初代天皇の神武天皇の時代を理想としたものである。つまり「王政復古」とは、日本の歴史上で皇位の譲位が頻繁に行われるようになる以前の「天皇一世一元」のあり方へと立ち返ることを意味したのである。