【豊臣兄弟!】「上様の気持ちがわかった」…明智光秀(要潤) が『本能寺の変』で犯した最大の誤算とは (5/10ページ)
そこに「秀吉、姫路に到着!」の一報が届きました。
小一郎は、「兄者なら走り続けると思った。細川殿のおかげで目が覚めた。」と、明智光秀を討つ覚悟を決めます。
兄弟の実行力に「この先やるかも!」とふんだのでしょうか。藤孝は、親しい明智とは手を組まずに距離を置き、自身は剃髪して家督は忠興に譲ることを決めました。
爆速で戻ってきた秀吉たち。(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)
「主君殺しは大罪」明智につかぬほうがいいと判断したか細川藤孝がなぜ「親しく縁のある光秀を助けなかったのか?」には諸説あります。
史実では、光秀と藤孝は、共に幕臣として足利義昭を支え、信長と義昭の橋渡し役もしていました。
さらに、共に信長の家臣となり、数々の戦いで藤孝は光秀の与力を務めてもいます。しかも、長男・細川忠興と光秀の三女・玉(のちの細川ガラシャ)が結婚したことで、親戚関係だったのです。
光秀は、親しく信頼していた藤孝は、必ず味方になってくれると信じていたことでしょう。
『細川家文書』によると、光秀は「細川父子は味方になってくれると思っていた。改めて味方になって欲しい」という覚書を送っています。
戦国の世とはいえ「主君殺し」は大罪。