【豊臣兄弟!】「上様の気持ちがわかった」…明智光秀(要潤) が『本能寺の変』で犯した最大の誤算とは (9/10ページ)
以前、光秀は秀吉に
「たまたま明智の家に生まれ、たまたま家督を継いだだけの、ただそれだけの男。
食うこともままならず、妻や娘に惨めな思いをさせることしかできぬ無様な己れに何の値打ちがあるのかと。
私は何のために生まれてきたのか、何のために生きているのかと。
考えることすらやめようとしたその頃、あのお方(公方様)と出会おうたのじゃ。」
という告白が印象に残っています。救ってもらった公方様にまた捨てられ、味方には裏切られ、“ただそれだけの男”に戻ってしまうのでしょうか……。
常識人で律儀で真面目だった要・光秀、悲しすぎる。「価値ある人物」だったからこそ、450年近くの時を経てもその名を歴史に刻んでいるのに。
これから、戦いは1582年(天正10年)6月13日、明智軍と織田・羽柴連合軍は、山崎の地で真っ向から対峙することになります。
いよいよ、息子の織田信雄でもなく織田信孝でもなく秀吉が台頭していきます。
信長が夢見た「空のように『境目のない世』」を叶え、「その空をわたしが太陽となって照らす」を実現するために、天下取りの道へ一歩を踏み出すのでしょうか。