【豊臣兄弟!】「上様の気持ちがわかった」…明智光秀(要潤) が『本能寺の変』で犯した最大の誤算とは (8/10ページ)
…そんな四面楚歌の明智光秀のもとに駆けつけた武将もいました。
一人は、若狭後瀬山城を本拠としていた若狭武田氏の9代当主・武田元明。8代当主・武田義統の妹が、光秀の母・おまきの方であったといわれています。
元明が家督を継いだときには、若狭武田氏の勢力は衰え勢いを取り戻せずに苦しい立場にいました。
本能寺の変を聞き、元明は義兄の京極高次とともに光秀に味方し、近江では佐和山城を攻略するなどの働きをします。
けれども、山崎の戦いで光秀が秀吉に敗れ、丹羽長秀に殺害されたと伝わります(諸説あり)
そして、もう一人は京極高次です。かつて近江守護を務めた名門の京極氏でしたが、武田元明と同様、高次の代にはすでに勢力が衰えていました。
本能寺の変後は、元明と共に明智側の味方として働くも、山崎の戦い後は主を失ってしまいます。
けれども京極高次の妹・竜子が秀吉の側室になっていたことで、竜子の懇願により命拾いし、秀吉に仕えることになりました。
秀吉は明智を討ち「上様の思いを継ぐ」覚悟を…
ほかにも、高山右近や中川清秀ら味方についてくれると思っていた人々も、明智側にもつかなかったのが誤算でした。
ことがうまく運ばず、頼りにしていた人々にも裏切られ。
「上様の気持ちがわかった」と、いまだ「上様」と呼びつつ呟く光秀が切ない。