【豊臣兄弟!】「上様の気持ちがわかった」…明智光秀(要潤) が『本能寺の変』で犯した最大の誤算とは (6/10ページ)

Japaaan

▪️どんな理由があっても、光秀は非難されこそすれ歓迎されるわけはないと考えた

▪️秀吉の「中国大返し」の行動力に驚き、すぐさま当時大阪にいた信長の三男・信孝と手を組み「光秀征伐」に乗り出す可能性が高いと考えた

などで、光秀の味方になっては不利になると判断した……という説が有力ともいわれています。

密談でお互いに『覚悟』を決めた、小一郎と藤考。(NHK大河「豊臣兄弟!」公式サイトより

頼りにしていた筒井順慶も味方せず

そして、もう一人、光秀が頼りにしていた人物がいます。

「豊臣兄弟!」では、信長に反旗を翻した松永久秀に代わって大和国を任された人物として描かれた、筒井順慶(永沼 伊久也)です。

史実でも、大和国を支配して光秀の与力として行動を共にすることが多かったといわれています。光秀とは茶席をともにするなど、個人的にも親しい間柄だったそうです。

天正10年(1582)、本能寺の変で順慶は大きな選択を迫られることになりました。

「順慶は洞ヶ峠まで出陣し、光秀と秀吉のどちらが有利かを見極めてから、どちらに付くかを決めようとした」という、いわゆる『洞ヶ峠の順慶』という逸話が残っているのですが、現在では後に脚色された俗説とみなされています。

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