【豊臣兄弟!】光秀が最後まで頼りにした武将・筒井順慶とは?「洞ヶ峠を決め込む」の由来になった波乱の生涯 (3/8ページ)

Japaaan

奪い奪われ筒井城

三好三人衆の1人・石成友通/Wikipediaより

翌年の永禄9年(1566)に、順慶と三好三人衆は松永軍に攻勢を仕掛け、美濃庄城を攻略します。これをきっかけに形勢が逆転し、久秀と三好三人衆が堺で和睦をしている最中、順慶は手薄になった筒井城を奪還

こんなにあっさりと目的が達成できたのは、三好家の重臣・篠原長房の侵攻への対応に久秀が注力していたためでした。

居城を取り戻した順慶は再度三好三人衆と連合して多門山城にいる久秀と対峙します。順慶達は、永禄10年(1567)に勃発した東大寺大仏殿の戦いにて奇襲を受けたことで敗北しました。

ちなみに、この戦いの中で起こった不慮の事故が原因で大仏殿が消失しています

それでも、翌年には信貴山城を攻略し、徐々に劣勢に追い込んでいきますが、久秀が織田信長と足利義昭に付き従ったことで戦況は一変。大和国の支配権を久秀が握ったことで、またしても筒井城を奪われてしまいました

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