【豊臣兄弟!】光秀が最後まで頼りにした武将・筒井順慶とは?「洞ヶ峠を決め込む」の由来になった波乱の生涯 (4/8ページ)

Japaaan

互いに織田家臣となる

松永久秀/Wikipediaより

順慶は叔父・福住順広(ふくずみ-としひろ)のもとへ落ち延び、久秀側の城の奪取や新たな城の築城を行いつつ、力を蓄えていました。

そんな中、対久秀へと方針を変えた義昭が接近してきます。義昭の助力を得た順慶は、井戸吉広に辰市城を築城させ、久秀に圧力をかけます。

元亀2年(1571)に、久秀が目の上のたん瘤になりかねない辰市城に侵攻したことで、戦いの火ぶたが切られました。辰市城の戦いと呼ばれたこの戦いは、劣勢であった筒井軍に援軍が来たことで形勢逆転。

松永家筆頭家老の竹内秀勝や柳生宗厳の長男・厳勝に重傷を負わせ、500人の兵を討ち取る大損害を与えました。

この勝利を機に順慶は筒井城に帰還し、2度目の奪還に成功しました。そして、同年に明智光秀の仲介で信長に仕えます

同時に久秀も佐久間信盛の仲介で信長の家臣になったことで、両者は矛を収めました。

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