【豊臣兄弟!】光秀・秀吉、涙の茶室。“主”は違えど忠義は同じ…始まる豊臣の「天下への道」 (2/8ページ)

Japaaan

意外なストーリー展開となった「天下への道」(NHK「豊臣兄弟!」公式「X」より)

秀吉は「山崎の戦い」に間に合わなかった…

「本能寺の変」後、頼りにしていた畿内の諸将の多くは味方になってくれず窮地に落ち込まれた光秀。

実際、秀吉や摂津衆(池田恒興・高山右近・中川清秀)らと光秀が激突した天正10年6月13日の「山崎の戦い」は、現在の京都府大山崎町周辺で行われました。

ところが、「山崎の戦い」に関しては新説が浮上しています。

2026年に公開された「小寺職隆・生駒七郎右衛門尉宛、羽柴秀吉書状」によると、「織田連合軍が明智軍と戦って勝龍寺城に撤退させ、山崎には先発隊が陣を張っている。自分(秀吉)も明日には西岡(勝龍寺城がある)に到着するので安心してほしい」という内容が記されていたそう。

ところが、光秀は勝龍寺城には籠城せず先発隊に討ってでたため、「秀吉は山崎合戦には間に合わなかった」という説が注目されています。

見誤った秀吉が遅刻したため、光秀討伐の第一の戦功者は池田恒興(堀井新太)と摂津衆で、彼らが本来の信長敵討の立役者だ…いう説もあります。

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