【豊臣兄弟!】秀吉は本当に「女狂い」だったのか? 天下人を彩った11人の側室たちを時系列で一挙紹介 (8/12ページ)
秀吉没後は、秀頼・淀殿と家康の対立構図となり、関ケ原の戦いを経て大坂の陣が勃発し、1615年(慶長20年)の大坂夏の陣で大坂城は落城。淀殿と秀頼は自害し、ここに豊臣家は滅亡しました。
天下統一がもたらした「甲斐姫」「月桂院」「香の前」秀吉の側室の中でも、特異な存在といえるのが「甲斐姫」です。歴史小説『のぼうの城』に登場する彼女は、忍城城主・成田氏長の長女で小田原征伐の折り、一族郎党と忍城を守り抜いた武勇の姫君として知られます。
北条氏滅亡にともない開城した忍城を退去した甲斐姫は、氏長とともに蒲生氏郷の配下として会津に移ります。
陸奥国中部で発生した葛西大崎一揆では劣勢の中、得意の薙刀で敵将二人のうち一人を討ち取り、一人を捕縛したとも伝えられています。その武勇伝を聞いた秀吉が、甲斐姫を側室として召し出したのです。
ただ、大坂城での甲斐姫の生活ぶりを伝える史料が少ないために、実在性を疑う説もあります。しかし、近年になり彼女が醍醐の花見に列席した際に詠んだと考えられる和歌の短冊が発見されたこともあって、注目を集めるようになりました。