【豊臣兄弟!】秀吉は本当に「女狂い」だったのか? 天下人を彩った11人の側室たちを時系列で一挙紹介 (9/12ページ)

Japaaan

忍城模擬御三階櫓(Wikipedia)

足利頼純の次女として生まれた「月桂院」は名を嶋といい、1588年(天正16年)、喜連川城主・塩谷惟久の正室となります。その2年後、奥州仕置で宇都宮城に入った秀吉に対し、惟久は妻を居城に置いたまま退去、逃亡しました。

嶋は実家足利家の救済を嘆願するため、宇都宮に出向いて秀吉と面会し、そのまま秀吉の側室になったといわれます。彼女の実家は、足利家の末流であり、また嫁ぎ先の塩谷家も源義家の血脈を引く名家でした。つまり月桂院は、秀吉側室の中で最も格式の高い家柄の出身であったわけです。

秀吉の死後、彼女は京都の東寺で出家。その後、家康にも召し出され、88歳の長寿を全うし江戸で死去しました。

「香の前」は名を種といい、その美貌を見初めた秀吉の側室となります。後に伊達政宗に下賜され、1598年(慶長3年)から政宗との間に男女合わせて二人の子をもうけました。

その後は政宗から重臣・茂庭綱元に下賜され、その側室となります。その際、政宗との子は実子として扱われています。男子は後に高清水城主・亘理宗根(わたりむねもと)となり、香の前はその庇護のもと余生を送り、1641年(寛永17年)、64歳で没しました。

「【豊臣兄弟!】秀吉は本当に「女狂い」だったのか? 天下人を彩った11人の側室たちを時系列で一挙紹介」のページです。デイリーニュースオンラインは、豊臣兄弟!ルイス・フロイス戦国時代豊臣秀吉大河ドラマカルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る