【豊臣兄弟!】「私を娶れ」勝家との祝言決意が意味するもの…広がるお市ロス、悲劇へ向かう誇り高き生涯 (4/10ページ)

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また浅井長政(中島歩)と結婚した後は居城であった小谷城から小谷殿(おだにどの)とか小谷の方などと呼ばれました。いずれにしても彼女の実名ではありません。

お市の「市」がどこから持って来た漢字なのか、今後の究明がまたれます。

浅井長政との結婚は初婚じゃなかった?

浅井長政との祝言。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

お市と浅井長政の結婚は、兄・信長が足利義昭(尾上右近)を奉じて上洛の野心を果たすための政略結婚でした。

二人の結婚時期は永禄10年(1567年)秋から永禄11年(1568年)春にかけてとされ、この結婚によって、浅井長政と平井定武女(ひらい さだたけ娘)の縁談は破談となります。

平井定武は六角家臣であり、つまり浅井家は六角家よりも織田家との同盟を選ぶ意思を表明したのでした。

この時点で、お市は21~22歳と当時の初婚年齢としては高めです。そのためお市の生年が間違っているか、あるいはお市が初婚でなかった可能性を指摘する説もあります。

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