【豊臣兄弟!】「私を娶れ」勝家との祝言決意が意味するもの…広がるお市ロス、悲劇へ向かう誇り高き生涯 (7/10ページ)
異説では叔父の織田信次(のぶつぐ)に保護されて尾張守山城(名古屋市守山区)へ移り住み、信次が天正2年(1574年)に長島一向一揆で討死すると、岐阜城へ移り住んで保護されたそうです。
秀吉の仲介で勝家と結婚
勝家に戯れるお市。その戯言が「瓢箪から駒」となった。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
その後しばらくお市は大きな動きを見せず、天正10年(1582年)に本能寺の変が起こると、状況が目まぐるしく変化しました。
信長亡き後の織田政権を決める清須会議を主導した秀吉が、勝家の不満をおさえるためにお市との縁談を仲介したと考えられています。
それまで側室や妾のみで正室がいなかったと考えられる勝家はこれを受け入れ、主筋であるお市との結婚で織田政権内における立場の強化を図りました。
婚儀は天正10年(1582年)8月20日に岐阜城で行われ、また京都妙心寺(京都市右京区)で信長の百箇日法要を営んだそうです。
ともに信長を想った同士、きっと心を合わせてねんごろに供養したことでしょう。