朝ドラ『風、薫る』中村倫也演じる柳生藤次のモデルは誰?明治時代「衛生」に携わった伝説の医系技官の史実 (5/8ページ)
その後、明治25年(1892)に衛生行政の後継者として後藤新平を衛生局長に迎えました。
長與は、司薬場の建設、医制の制定、防疫・検疫制度の導入など日本の衛生行政の基礎を築き上げ、大日本私立衛生会を興して会頭に就任、種痘の普及にも貢献したそうです。
※緒方洪庵:江戸時代後期の蘭学者
東京復興の大役を担った・後藤新平
安政4年(1857)、胆沢郡塩竃村(現在の岩手県奥州市)水沢藩士の家に生まれた後藤新平。
17歳で須賀川医学校に入学し優秀な成績で卒業、愛知県医学校(現在の名古屋大学医学部)で医師として働くも24歳で学長・病院長になるという異例の出世を遂げた人物です。
明治15年(1882)、愛知県医学校での実績を見出されて内務省衛生局に入り、官僚として病院・衛生に携わることに。明治25年(1892)には、長與專齋の推薦で内務省衛生局長に就任しました。
ところが翌年、相馬事件(相馬藩主の処遇や家督をめぐるお家騒動)に連座して収監、無罪になるも衛生局長は失脚します。