【豊臣兄弟!】秀吉vs勝家「賤ヶ岳の戦い」お市を自刃に追い込んだ1年におよぶ調略合戦の全貌 (3/7ページ)
かくして和睦が成立しましたが、墨も乾かぬ12月2日、秀吉は和睦を反故にして柴田領へ侵攻しました。
清須会議で勝家に譲った近江長浜城を奪還し、守将の柴田勝豊(かつとよ。勝家の甥で養子)を降伏させたのです。
続く12月20日には岐阜城の信孝を攻めてこちらも降伏させ、三法師の奪還に成功しました。
越前の勝家が雪に閉ざされて動けない隙を狙った秀吉の作戦勝ちと言えるでしょう。
また12月22日には、徳川家康(松下洸平)から信雄に対して挨拶がありました。
これは信雄が織田家当主となったことへの祝いで、実質的に秀吉らを支持する意思表明となります。
東海5ヶ国(三河・遠江・駿河・甲斐・信濃)を領する家康を味方に引き入れた(秀吉に対する好意的な中立を確保した)ことで、秀吉の優位はさらに盤石となったことでしょう。
天正11年(1583年)いざ決戦の舞台へ
決戦に臨む秀吉。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。
この流れに危機感を募らせたのか、1月1日の新年早々に滝川一益(猪塚健太)が伊勢で反秀吉の兵を挙げました。
一益は清須会議の結果として所領の多くを失い、その保障が図られなかったことから、秀吉を恨んでいたようです。