【豊臣兄弟!】秀吉vs勝家「賤ヶ岳の戦い」お市を自刃に追い込んだ1年におよぶ調略合戦の全貌 (6/7ページ)
勝家らは越前の北ノ庄城へ逃げ帰りますが、4月23日には秀吉の大軍に包囲されてしまいます。
そして4月24日に勝家やお市らは自刃して果て、織田家筆頭家老を務めた柴田家は滅亡しました。
翌4月25日には秀吉が輝元に対して戦勝を報告し、これは暗に服属を迫る意味が込められています。
また岐阜城に立て篭もっていた信孝も降伏し、4月29日に自害させました。
かくして近江・美濃の戦線を制圧した秀吉に残された課題は、いまだ抵抗を続けている伊勢の滝川一益のみとなります。
もはや孤立無援となった一益は7月まで徹底抗戦したものの、ついに刀折れ矢尽きて降伏しました。
命まではとられず、出家の上で改易(所領の全没収)、追放されたということです。
終わりに