【豊臣兄弟!】秀吉vs勝家「賤ヶ岳の戦い」お市を自刃に追い込んだ1年におよぶ調略合戦の全貌 (4/7ページ)
いまだ雪の中で閉ざされていた勝家も、ただじっとしていた訳ではありません。
2月13日には勝家が足利義昭(尾上右近)と毛利輝元(濱省悟)に対して支援を要請しています。
2月半ばに秀吉が一益を討つべく伊勢へ侵攻し、2月末にはとうとう勝家がまだ雪深い越前から兵を挙げました。
勝家は前田利家(大東駿介)や佐久間盛政(遠藤雄弥)ら3万の軍勢を率いて、3月12日に近江国柳ヶ瀬へ到着します。
3月14日には勝家は義昭を室町将軍として奉戴するとともに、輝元に対しては援軍を派遣するよう督促しました。
3月19日になると、伊勢に残留部隊を残した秀吉が近江国木ノ本へ到着。5万の軍勢を配置します。
かくして決戦の舞台が調ったものの、いきなり攻めかかることはせず、互いに陣地の構築にとりかかりました。
天正11年(1583年)いよいよ決戦!
なぜ利家は勝家を見限った?NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。
一方そのころ、4月5日に義昭は輝元に対して勝家へ援軍を送るように命じます。しかし輝元は戦況の判断に迷い、その挙げ句に出兵を見送ったのでした。
また4月16日には一度降伏した信孝が美濃で挙兵し、岐阜城を奪還します。