朝ドラ『風、薫る』りんの「手」が佳枝(相田翔子)の心を解く…史実に残る“最善を尽くす”派出看護婦の心得とは (2/8ページ)

Japaaan

お金のない家庭からは料金を取らず、派出看護に奮闘する直美(NHK「風、薫る」公式「X」より )

明治初期に東京と京都の養成所が始めた派出看護婦

ドラマの中で、直美はりんを手助けに行った赤痢患者を入院させる避病院で東京から来た患者・柳生藤次(中村倫也)と出会います。

柳生は、内務省衛生局の役人でした。自身も感染してしまうなか、直美の的確な指示や物おじしない行動力に感銘を受けたのか新潟での事例の報告書を上にあげてくれ、「お上のお墨付き」となった『恵風看護婦会』。

これで、裕福な家庭の利用者が増えて利益がでれば、その分を無料で看護する貧しい人々への経費に回せます。

実際、明治18年(1885)に設立された『有志共立東京病院看護婦教育所』が改称し『東京慈恵医院看護婦教育所』となり、明治20年(1887)には、正式に教育を受けた看護婦による派出看護を実施しはじめました。

また、同志社の創立者・新島襄が日本初の看護婦養成機関として創設した『京都看病府学校』でも、ナイチンゲールのもとで近代看護を学んだ指導者リンダ・A・リチャーズが、訪問看護(当時は、巡回看護)の先駆け的な指導をしていたそうです。

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