【豊臣兄弟!】豊臣秀次(山田涼介)粛清の真相は?切腹へ追い込まれた聚楽第改修に潜む“秀吉への反逆” (6/10ページ)
聚楽第の大改修が意味するものとは
では、なぜ秀次は突然謀反の罪を着せられ、滅亡に追い込まれたのでしょうか。
その理由は文禄の役の最中、九州の秀吉にもたらされた「関白秀次様に不穏な動きあり」が発端であった可能性があるのです。
城郭考古学という分野で著名な千田嘉博氏は、この不穏な動きの正体を、秀吉が築き秀次が居城としていた京都聚楽第にあると指摘しています。
しかし、京都大学防災研究所の振動波を用いたレーダー探査により、地中の痕跡から天守や堀の位置など、その全体像がかなりの精度で復元可能となったのです。
この調査で分かったことは、聚楽第の範囲はこれまで知られていたよりも1.6倍の広さになるということ。また、本丸の北西角の推定地からは、天守閣とみられる固い地盤の高まりが検出され、城への出入り口である「虎口」とみられる堀の切れ目も三カ所で見つかりました。