【豊臣兄弟!】豊臣秀次(山田涼介)粛清の真相は?切腹へ追い込まれた聚楽第改修に潜む“秀吉への反逆” (7/10ページ)

Japaaan

これだけでも貴重な発見ですが、この調査による最大の成果は、本丸東堀の約70メートル東には、幅40メートル、深さ8メートル以上の人工の窪み、すなわち大規模な外堀が見つかったことでした。またこの外堀は、東側だけでなく北側や西側でも確認されているのです。

そして最も注目を集めたのは、こうした外堀は、聚楽第を囲んでいた周囲の大名屋敷を取り壊してまで、広げようとしていた意図が認められたことでした。

『聚楽古城之図』に描かれた聚楽第(Wikipedia)

この外堀拡張がいつ行われたのかは、調査からは断定できていません。しかし千田氏は、秀次が聚楽第の大改造に乗り出したのは、秀吉が朝鮮出兵のため、肥前名護屋城にいる期間だったと推測しています。

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