朝ドラ『風、薫る』迫る戦争の影…多江の決断と、歴史を変えた「篤志看護婦」たちの知られざる史実 (2/7ページ)

Japaaan

医薬品の供給に戦地に赴く虎太郎と別れの挨拶をするりん。(NHK「風、薫る」公式「X」より)

「看護の未来に貢献するため」篤志看護婦を志願

「篤志看護婦」は、明治20年(1887)に設立した、日本初のボランティア組織「日本赤十字社篤志看護婦人会」が最初だそうです。

明治20年といえば、ちょうど「風、薫る」のナース7たちが「梅岡女学校付属看護婦養成所」で初めて出会い、とまどいながら「看護」の勉強を始めた頃ですね。

設立規則と発起人名の記録には、有栖川宮妃董子を初代幹事長とし、公家の三条治子をはじめ、佐賀藩の鍋島栄子ら元大名夫人、伊藤梅子(伊藤博文の継妻)、大山捨松(大山巌の妻)、西郷清子(西郷従道の妻)、榎本たつ(榎本武揚の妻)に加え、佐野常民や橋本綱常(日本赤十字社病院の初代院長)の妻も名を連ねています。(日赤初のボランティア組織【篤志看護婦人会発起人名簿】)

多江は、ナース7の中でも入学当初から、一番学問に対する意識が高い女性でした。

自己紹介の時、父も兄も医師だといい「日本の医療の向上に看護婦が欠かせまいと考えこちらにきました」とさりげなく上から目線で皆を見ながら言ったのが忘れられません。

プライドも志も高い女学生でしたが、以来、自分の中にずっとこの時の気持ちを持ち続けてきたのではないでしょうか。

ドラマでは結婚もせずに、看護婦取締として働き続けてきた多江。

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