朝ドラ『風、薫る』迫る戦争の影…多江の決断と、歴史を変えた「篤志看護婦」たちの知られざる史実 (6/7ページ)

Japaaan

「野戦病院へ行幸之図」(皇后による野戦病院への行幸)小林清親 (浮世絵検索)

ユニフォームは「看護婦」の証明

ところで、現地で働く多江の看護婦のユニフォーム。は、明治時代から昭和にかけての日本画家・武内桂舟が描いた「看護婦」の絵にそっくりです。(下記参照)

特徴的なのは、大学病院での看護婦の制服や派出看護婦のときのコンパクトなキャップとは異なり、かなり高さのあるナースキャップでしょう。

明治25年頃に定められた日本赤十字社の看護服は、襞(ひだ)を取った高い帽子と、袖山の膨らんだ白いワンピースを基本とし、スカート丈や帽子の高さに多少の変化はあるが、昭和16(1941)年頃まで用いられた。(東京家政大学博物館 収蔵品データベース)

さらに、「赤十字看護師の制服」には以下のような話もあります。

救護員としての赤十字看護師の制服として制定されたのは、詰襟の長袖で、丈は足元に及ぶほど長い白衣であった。救護員制服は、日本赤十字社の救護員としての資格を備え、且つその資格を表明するために必要不可欠であったために制定したという記述がある。

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