朝ドラ『風、薫る』迫る戦争の影…多江の決断と、歴史を変えた「篤志看護婦」たちの知られざる史実 (3/7ページ)
「傷ついた軍人さんたちをしっかり看護して、看護の未来に貢献してきます」という言葉は、実に多江らしい崇高な思いを感じるセリフでした。
りんも、即座に「多江さんが行けはあとに続く看護婦も出てきやすい」と、多江の思うところを理解していました。
さまざまな苦労や経験を経てきた彼女たちは、自分たちが「看護婦を職業として生活していく」だけではなく、「看護婦を育てていく」という意識を持っています。
養成所の教師だったバーンズ先生(エマ・ハワード)が帰国するとき、生徒たちに「自分の夢」だとして「日本にたくさんの看護婦を育ててほしい」と伝えていました。
皆、それを叶えようと、ずっと心の中に刻んでいたのがわかる場面でした。
篤志看護婦になると覚悟を決めて告げにきた多江。(NHK「風、薫る」公式「X」より)
日清戦争時、新島八重らが活躍した広島の陸軍病院広島の陸軍病院で篤志看護婦として活躍した人といえば、2013年の大河ドラマ『八重の桜』の主人公で、福島県会津出身、同志社の創設者・新島襄の妻、新島八重(綾瀬はるか)が有名です。
八重は、明治23年(1890)、日本赤十字の正社員となり、明治27年(1894)の日清戦争では、広島の陸軍予備病院で4ヶ月「篤志看護婦」として活躍したそうです。