【豊臣兄弟!】前田利家がまさかの撤退!「賤ヶ岳の戦い」裏で妻・まつはどう動いたのか? (8/9ページ)

Japaaan

まつが秀吉に放免を嘆願したという逸話は強調せず、夫婦の対話による利家の決断が描かれていたようです。

前田利家とまつの像(小丸山城) photo-ac

まつは前田家の中で発言力があった

夫・利家を叱咤激励することもあったと伝わるまつ。

一次史料には直接残る逸話は見当たらず、多くは江戸時代初期以降の軍記物や二次史料・伝承に基づくものです。

興味深いのは『利家夜話』の「前田利家は能登国を嫡男の、利長に譲る」の項目。

一、 大納言様、能登国を孫四郎様へ御渡なされ候時、村井豊後を下され候様にと仰せられ候、さなく候はゞ、奥村伊予を下され候へと、表向より斎藤刑部・岡田長左衛門御使にて、御訴訟候へば、御内証よりも、御母儀様仰せられ候へば、尤も孫四郎申す如く、世上無事に候故に、孫四郎は取合はず、肥前は、信長なされたる事も、若年の頃、二三度も見申し候、其上柳ケ瀬の大きなる人数立も見申し、

現代語に意訳すると、「利家は、村井豊後(村井長頼)を利長付きとして与えていただきたい。もしそれが無理なら、奥村伊予(奥村永福)を付けていただきたいと考え、表向きには斎藤刑部・岡田長左衛門を使者として、その旨を申し入れた。

すると、利家の内々の考えからも、御母儀様(利長の母・まつ)がおっしゃったことからも、当然のことであるということになった。

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