『風、薫る』の舞台にいたもう一人のヒロイン――幕末のジャンヌ・ダルク、新島八重がみせた銃から看護への転身 (5/8ページ)
(同志社女子大学「篤志看護婦としての八重」)
広島陸軍予備病院の第三分院で看護を担当
新島八重が担当したのは、広島陸軍予備病院の第三分院。そこは戦争の負傷兵ばかりではなく、伝染病専用の隔離病棟も含まれていたのでした。(同志社女子大学「篤志看護婦としての八重」)
明治28年、厚生労働省「広島検疫病所」の記録によると、広島でコレラが流行っていたところに、日清戦争の終結で中国から帰国した将兵などにより、さらに感染が伝播したそうです。
そのため、内地と戦地を往復する船に乗った人・馬・物資に対して検疫を行なったことが、今の検疫法の先駆け的存在となったそうです。
看護婦諸姉が三十時間の長き労働を終えて帰り、僅かに制服を脱して余力を養はるるところは実に合宿所の一室中なり。(「日本の黄鶯嬢」女学雑誌407)(同志社女子大学「篤志看護婦としての八重」)
多くの患者がいる陸軍病院で30時間も看護の仕事をしつつ、同じ環境に寝泊まりして生活を続けるのは、相当困難を極めたのではないでしょうか。
実際に、過酷な労働環境で亡くなった篤志看護婦が4名いたそうです。