【豊臣兄弟!】史実でお市・勝家・三姉妹の別れはどのように伝わった?秘められた母娘の覚悟と北ノ庄城の真実 (7/8ページ)

Japaaan

三姉妹を抱き寄せるお市。(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)

賤岳合戦記の「北ノ庄城の最期」

天正11年(1583年)4月、賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉に敗れた柴田勝家は越前・北ノ庄城(現在の福井市)に退却。

秀吉軍に包囲され、23日夜から24日にかけて、妻・お市の方をはじめ一族・家臣とともに自害して果てました。

『賤岳合戦記』の中の「勝家切腹之事」にはその夜のことが長文で描かれています。

最期の夜の部分を一部、現代語に意訳すると、

夜になると城の中では酒宴が始まり、勝家が事「あの藤吉郎め、猿のようにずる賢い奴のために、このような結果になってしまったのは無念の次第だ。もうあれこれ言っても仕方がない。所詮、酒を飲んで、明日はこの浮き世の暇をあけ、ほのぼのとした雲のように消えよう」

無念ながらも、皆を慰労し最期のときは潔く消えようという勝家の心中が伝わってくるようです。

その後、お市は勝家に逃げよといわれるも断り、三姉妹を逃すように中村聞荷斎に頼みます。そして夜半に天守にあがり二人で辞世の句を詠んだあと、家臣たちが、天守の下に込草(燃えやすい草)を積み置き静かに火をかけた……という場面が描かれています。

三姉妹を場外に逃して天守に火を付けて勝家とお市を見送った中村聞荷斎も自害。

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