【豊臣兄弟!】徳川四天王、猛将・本多忠勝(夏生大湖)が“最期に残した言葉”と家康を救った3つの危機 (3/8ページ)
以後も数々の戦場で武功を挙げ、忠勝の名は徳川家中に留まらず、次第に天下へと知られていくことになります。
家康の危機を何度も救った忠勝勇猛な逸話には事欠かない忠勝ですが、特筆すべきは、家康の危機を何度も救っていることでしょう。
ここでは、そのなかでも代表的な三つの出来事を紹介します。
一つ目は、1572年(元亀3年)の「一言坂の戦い」と「三方ヶ原の戦い」です。
将軍・足利義昭の働きかけを受けた武田信玄は、ついに西上作戦を開始しました。
武田勢が浜松城(当時の徳川家の本城)と、支城の掛川城・高天神城を結ぶ要衝にある二俣城を包囲したとの報を受けると、家康は自ら威力偵察に出ます。
しかし、運悪く一言坂で武田本隊と遭遇。その猛攻の前に防戦を強いられた家康を助けるため、忠勝は殿軍を務めました。そして、家康を無事に退却させ、自らも撤退に成功したと伝えられています。
「家康に過ぎたるものが二つあり。唐の頭に本多平八」。