【豊臣兄弟!】徳川四天王、猛将・本多忠勝(夏生大湖)が“最期に残した言葉”と家康を救った3つの危機 (7/8ページ)
1610年(慶長15年)、忠勝は桑名で死去しました。享年63。
忠勝の臨終に際して残された言葉として、次の言葉が伝わっています。
「侍は首取らずとも不手柄なりとも、事の難に臨みて退かず、主君と枕を並べて討死を遂げ、忠節を守るを指して侍といふ」
「武功を立て、敵の首を取ることだけが武士ではない。困難に直面したときに退かず、主君とともに最後まで忠節を守り抜く。これこそが武士なのだ」という意味です。
本多忠勝の人生は、数多の戦場の第一線を駆け巡りながら、家康とともにその天下取りを支えた人生であったと言っても過言ではないでしょう。
しかし、忠勝をして単に戦国最強の猛将の一人というだけでは語り尽くせません。その生涯を振り返ると、「家康に過ぎたるもの」と称された理由が、少し見えてくるのではないでしょうか。
次回は、小牧・長久手の戦いでは忠勝と加藤清正との一騎打ちのエピソードを交えながら、忠勝についてもう少しだけ掘り下げたいと思います。どうぞ、ご期待ください。