【豊臣兄弟!】徳川四天王、猛将・本多忠勝(夏生大湖)が“最期に残した言葉”と家康を救った3つの危機 (4/8ページ)
この言葉は、一言坂での忠勝の奮戦ぶりを見た武田方が、その武勇を称えたものとして知られています。
さらに、その後に起きた「三方ヶ原の戦い」でも、忠勝は徳川軍の一翼を担って奮戦。敗走する家康を逃がすため、ここでも踏みとどまって戦ったと伝えられています。
そして二つ目が、1584年(天正12年)、豊臣秀吉(池松壮亮)との全面対決となった「小牧・長久手の戦い」です。
羽柴秀次、池田恒興らが別動隊として出陣したとの報を受け、家康はその撃破のために小牧山城を出陣しました。このとき忠勝は、小牧山城の留守を任されていました。
家康は長久手で羽柴方の別動隊を撃破し、池田恒興、森長可らを討ち取りますが、秀吉本隊が家康勢を追撃するため動き出したとの報が入ります。
そこで忠勝は、家康本隊が小幡城を経て小牧山城へ退く時間を稼ぐため、わずかな手勢を率いて秀吉の大軍の前に立ちはだかったのです。