『豊臣兄弟!』降伏した元親を襲う残酷な悲劇…史実に見る四国攻めと秀吉・関白就任の舞台裏 (2/11ページ)

Japaaan

天正12年(1584年)

12月12日 於義伊が秀吉の養子(人質)となり、元服して羽柴秀康と改名

天正13年(1585年)

3月10日 秀吉が内大臣となる 3~4月 紀州征伐(本願寺に協力した根来衆・雑賀衆を討つ) 6~8月 四国攻め 6月16日 病気の秀吉に代わり秀長を総大将として四国攻めを開始 7月 秀吉が近衛龍山の猶子となり、藤原姓に改める 7月11日 秀吉が関白となる 8月6日 長宗我部元親が秀長に降伏する 8月下旬 伊予方面ではまだ抵抗が続く 8月中 秀吉が四国国分(くにわけ)を行う

こうして見ると、元親が降伏した後も、伊予方面ではまだ抵抗が続いていました。

また秀吉の関白就任は四国攻めの最中であり、劇中とは順番が前後しています。

於義伊は家康の実子なのか?

羽柴秀康(画像:Wikipedia)

秀吉と和睦するために秀吉へ養子に出された於義伊(おぎい)。ちょっと変わった名前ですが、これは「ギギという魚に顔が似ていて気持ち悪い」ことからつけられました。ひどい話ですね。

於義伊の生母が妊娠した時、家康の正室である築山殿が彼女を家康の側室として承認せず、追放してしまいました。

そのため、家康も生まれた於義伊を認知せず放置していたのですが、秀吉への人質として呼び戻したようです。

劇中の時点で11歳となっており、秀吉の養子となって羽柴秀康(ひでやす)と改名します。

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