『豊臣兄弟!』降伏した元親を襲う残酷な悲劇…史実に見る四国攻めと秀吉・関白就任の舞台裏 (9/11ページ)
降伏した長宗我部家は、その後に続く九州征伐の先鋒として戦場へ駆り出されます。これも乱世の習いであり、土佐一国を安堵されたのですから、仕方ありません。
天正14年12月12日(1587年1月20日)に戸次川の戦いで嫡男の長宗我部信親(林裕太)が討死し、自身も討死すると言い出すほどの悲しみに暮れます。
惨敗を喫して身心共にボロボロとなった元親は、土佐に帰国した後も、しばらく政務に手がつかないほどでした。
元親は信親を溺愛しており、自身の後継者として育てていたのですが、こういう事態を考えていなかったようです。
また戸次川の戦いには次世代を担う若武者ばかりを選抜しており、その多くが討死してしまいました。そのため、長宗我部家は人材不足によって衰退してしまうのでした。