『豊臣兄弟!』「夢のまた夢」あの辞世の句を生んだ秀吉の感性|師・細川幽斎と紡いだ亡き子への想い (5/8ページ)
よく秀吉は「人たらし」と称されますが、それは、人の心情を機敏に捉えることのできる繊細な感性を持っていたともいえるでしょう。そうした繊細な感性によって、秀吉はもともと「歌詠み」としての素質を持っていたのかもしれません。
秀吉が天下人として君臨するようになると、朝廷や公家との交流も増え、「秀吉文化サロン」ともいうべき文化的な場が形成されていきました。
ここでは、秀吉を中心に、彼を取り巻く武将たちの間で作歌が盛んに行われたのです。その主なメンバーは、幽斎のほか、木下長嘯子や小堀遠州らの武人、そして秀吉の祐筆を務めた松永貞徳などでした。
天下人・秀吉が詠んだ和歌、その実力とは?「露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは夢のまた夢」
この和歌は、秀吉の辞世として知られる一首です。その意味は、「我が身も露のようにこの世に生まれ、露のように消えてしまう。振り返れば、難波での出来事も、夢の中で夢を見ているようなものだった」というものです。