『豊臣兄弟!』「夢のまた夢」あの辞世の句を生んだ秀吉の感性|師・細川幽斎と紡いだ亡き子への想い (6/8ページ)

Japaaan

「万代(よろずよ)の 君が行幸になれなれむ 緑木高く繁る軒の玉松」

これは1588年(天正16年)4月、聚楽第に後陽成天皇を招いて饗応した際に詠んだ一首です。その意味は、「万年にわたって、我が君の行幸を何度も迎えることを常とするだろう。緑に高く繁る軒端の松は」といったところでしょう。

古典を基本にした作歌を行った秀吉(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)

何事にも度を外した派手好きというイメージがある秀吉。しかし、和歌の世界においては、師である幽斎が伝えた古典の教養を大切にし、古典文学を典拠とした歌作りを行っていたのです。

最後に、秀吉と幽斎が、歌人としてかなり高度なやり取りをしていたことがうかがえる逸話を紹介しましょう。

それは、1592年(文禄元年)正月16日のことでした。

秀吉から幽斎のもとに、祐筆を通じて一通の手紙が送られてきます。

そこには、次のように記されていました。「太閤さまは、前年に亡くなった長男の鶴松君と夢の中でお会いになった。目が覚めたとき、炬燵の上には涙が落ちて水たまりになっていた。そこで、この一首をお詠みになったのだ。

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