『豊臣兄弟!』「夢のまた夢」あの辞世の句を生んだ秀吉の感性|師・細川幽斎と紡いだ亡き子への想い (1/8ページ)
「露と落ち 露と消えにし我が身かな……」
豊臣秀吉(池松壮亮)が遺した有名な辞世の句。実はこの繊細な感性の裏には、彼が「生涯の師」と仰ぎ、和歌の奥義を学んだ細川幽斎(亀田佳明)の存在がありました。
亡き幼子(鶴松)を想い涙ながらに詠んだ和歌と、それに添えられた師の美しい返歌。
「成り上がりの天下人」はいかにして歌を愛し、師と深く心を通わせるようになったのか。今回は、大河ドラマ『豊臣兄弟!』でも注目の集まる秀吉の「知られざる歌人としての素顔」と、師との絆に迫ります。
池松壮亮が演じる豊臣秀吉(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)
武将であり文化人でもあった細川幽斎豊臣秀吉の没後のことになりますが、細川幽斎をめぐっては、興味深い出来事がありました。
1600年(慶長5年)9月に関ヶ原の戦いが起こると、幽斎は東軍、すなわち徳川家康(松下洸平)に味方することを決め、丹波田辺城に籠城します。
その兵数はわずか500人。当時の細川家の所領は丹後半国など、およそ12万石で、動員兵力は4,000人ほどでした。
しかし、その多くを嫡男・忠興(幽斎は隠居していたため、細川家当主)が、家康の会津征伐に参加するために連れ出していたため、このような寡兵での籠城となったのです。