『豊臣兄弟!』「夢のまた夢」あの辞世の句を生んだ秀吉の感性|師・細川幽斎と紡いだ亡き子への想い (7/8ページ)
御返歌をいただきたい」
その和歌とは、「なき人の かたみの涙 のこし置きて 行方もしらず 消えはつるかな」でした。
「いまはこの世にいない愛しい人が夢に現れた。しかし、その姿は行方も知れず消えてしまい、形見として私の涙が残るだけだ」というような意味でしょう。
これに対して幽斎は、「をしからぬ 身をまぼろしと なすならば 涙の玉の ゆくゑ尋ねん」と返します。
その意味は、「惜しくもない老いた身を幻とすることができるならば、お涙の行く先を尋ね、若君の魂のありかを訪ねましょうものを」というものでした。
秀吉の亡き我が子に対する悲しみを表現した一首も見事ですが、それに対する幽斎の返歌には、中国・唐代の白楽天の詩『長恨歌』や、謡曲『楊貴妃』のイメージが重ねられていたとも考えられます。
つまり幽斎は、秀吉の悲嘆を、玄宗皇帝が楊貴妃を失った悲しみになぞらえて詠んだのでしょう。もちろん、そうした表現を秀吉が理解してくれることを踏まえての返歌だったと考えられます。
このように秀吉は、細川幽斎という当代随一の文化人を師として和歌を学び、自らも数多くの歌を詠んだ人物でした。