『豊臣兄弟!』磐覚(坂口涼太郎)のポーズが話題「阿修羅像」は消滅寸前だった!明治の悲劇「廃仏毀釈」とは (6/9ページ)
●1870年(明治3年)1月3日……「大教宣布の詔」が発せられ、天皇を中心とした国家の祭祀・教化政策が進められる。
●1871年(明治4年)5月14日……神社の国家管理を強化する神社制度が整えられ、新たな社格制度が定められる。
このように明治政府は、国家の祭祀を神道中心に再編し、天皇を中心とする新たな国家体制を構築していきました。
そして、こうした神仏分離政策をきっかけとして、各地で寺院や仏像、仏具などを破壊・廃棄する動きが発生します。これが、いわゆる「廃仏毀釈」でした。
全国へ広がった廃仏毀釈!そして興福寺も危機に初期の段階で激しい廃仏毀釈が行われた地域の一つが滋賀県です。比叡山延暦寺と深い関係にあった日吉社の神職が武装した一隊を率いて延暦寺に押しかけ、本殿に安置されていた仏像や経巻類を破壊し、焼き捨ててしまったのです。
伊勢神宮を擁する三重県では、神宮と関係が深かった慶光院をはじめ多くの寺院が廃仏毀釈の対象となり、とりわけ門前町・宇治山田にあった寺院の大半が閉鎖に追い込まれました。