『豊臣兄弟!』磐覚(坂口涼太郎)のポーズが話題「阿修羅像」は消滅寸前だった!明治の悲劇「廃仏毀釈」とは (8/9ページ)
廃仏毀釈の対象になった鎌倉鶴岡八幡宮の大塔(Wikipedia)
神社に付属していた仏堂や塔なども、全国各地で失われています。上野東照宮の本地堂、久能山東照宮の五重塔、北野天満宮の多宝塔、鶴岡八幡宮の大塔、江島の三重塔、諏訪大社の五重塔・三重塔など、神社境内に存在していた仏教建築の多くが姿を消しました。
廃仏毀釈の動きは、地域によって時期や激しさに大きな差がありましたが、明治初年から数年間にわたって全国各地で続いたのです。
なぜ廃仏毀釈は全国へ広がったのか?廃仏毀釈運動の発端となったのは、明治政府が進めた神仏分離令でしたが、彼らは必ずしも仏教を弾圧すること自体を目的としたものではありませんでした。
では誰が廃仏毀釈を推し進めたのか。その中心には「仏教が主・神道が従」という神仏習合思想において、長年仏教勢力に圧迫されてきたと考えていた神職者たちがいたのです。
そこへ、平田派国学や水戸学の影響を受けた神職・民衆による仏像・仏具の破棄運動が全国的に広がります。