「卑弥呼」は偉大な女王だった!「三国志」の動乱を読み大国・魏から“破格の待遇”を勝ち取った知略 (5/8ページ)

Japaaan

こうして魏に従う意思を示した公孫淵でしたが、それでも魏は公孫氏政権への圧力をやめません。

公孫淵(Wikipedia)

そして234年、『三国志』を彩った偉大な英雄がこの世を去ります。劉備の死後、蜀を支え魏と対峙してきた諸葛亮が病に倒れ、陣中に没したのです。

これを機に、魏は本格的に呉の影響力を遼東半島、朝鮮半島から駆逐しはじめます。そして、238年、ついに魏は4万の大軍を動かし、公孫淵を滅ぼしました。

公孫氏政権の滅亡により、呉と公孫淵による海上から魏を挟撃する可能性は大きく後退しました。そして魏は倭(邪馬台国)を味方に引き入れ、逆に呉の背後を牽制する構図を描いたのです。

卓越した国際感覚と外交戦略を備えた卑弥呼

魏は呉を統制するために、倭を重要視しました。しかし、倭にとっても魏の後ろ盾は必要であったのです。

当時の邪馬台国の状況をみると、倭国連合の中心ではあったものの、決して安泰ではありませんでした。それは、南方の狗奴国との争いが続いていたからです。

それゆえに、魏という大国の後ろ盾を得ることは、倭国内での優位を確立するうえで極めて有効でした。つまり、魏の威光で狗奴国との争いを平定しようとしたのです。

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