『豊臣兄弟!』妹を強制離縁、実母すら人質に…秀吉はなぜそこまで“非情”になって家康に執着したのか (7/10ページ)

Japaaan

1586年(天正14年)5月、秀吉は妹のあさひ(倉沢杏菜)を副田吉成(前原瑞樹)と離別させ、家康の正室として嫁がせました。

仲睦まじかったあさひと副田吉成(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)

『豊臣兄弟!』では、家康が和睦を受け入れる代償として、秀吉の肉親を正室に迎えることを求めたかのように描かれます。

実際に、秀吉と家康のどちらが最初にこの縁談を持ちかけたのか、詳しい経緯を確定するのは困難です。しかし、この婚姻が両家にとって重要な意味を持っていたことは間違いありません。

家康にとっては、秀吉の妹を正室に迎えることで、豊臣政権内での立場を有利にする効果が期待できました。一方、秀吉にとっても、妹を嫁がせることで家康を義弟という関係に取り込み、政治的な結びつきを強める狙いがあったと考えられます。

京都の聚楽第を出発したあさひの輿入れ行列は、150名余りを従え、5月14日に浜松へ到着しました。

浅野長政・富田知信・織田長益らが付き従い、その行列は「板輿十丁、乗物三十丁」という大規模なものだったと伝えられます。

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