『豊臣兄弟!』妹を強制離縁、実母すら人質に…秀吉はなぜそこまで“非情”になって家康に執着したのか (8/10ページ)

Japaaan

『宇野主水日記』にも、その華やかさを「華麗なことは書き載せるまでもない」と記すほどの盛儀だったことがうかがえます。

あさひはその後、駿河府中(駿府)に居を構え、「駿河御前」と呼ばれるようになりました。このとき、家康は45歳、あさひは44歳とされます。

豊臣兄弟の母・・なか(大政所)(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)

ところが、妹を嫁がせても、家康はなかなか上洛しようとしません。そこで秀吉は、さらなる一手を打ちます。それが、母・なか(大政所/坂井真紀)を家康のもとへ送ることでした。

徳川方にとって、上洛は簡単に応じられるものではありませんでした。家康が秀吉のもとへ出向けば、その身に危険が及ぶのではないかという懸念があったからです。

1586年(天正14年)9月、岡崎城では家康の上洛をめぐる評定が行われ、酒井忠次(天野ひろゆき)ら重臣たちは、秀吉の真意を測りかねるとして、上洛に強く反対したといわれます。

次回の第41回「家康の野望」では、豊臣兄弟が母・なかを岡崎へ送り出す場面が描かれることになるでしょう。

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