『豊臣兄弟!』秀吉(池松壮亮)の大坂城は地下7mに眠っている!徳川が封印した“漆黒の巨城”の真の姿 (6/10ページ)

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豊臣大坂城本丸復元図(出展:中井家所蔵をめぐるノート)

このうち、中井家伝来の絵図は、1960年(昭和35年)に日本城郭協会の櫻井成廣氏によって紹介され、地下で発見された石垣が城内のどの位置にあたるのかを検討するための重要な手がかりとなりました。

ちなみに、この絵図は1614年(慶長19年)の大坂冬の陣開戦の際に、家康が正清に命じて描かせた大坂城攻略のための作戦絵図であったとの説があります。となると、そこに描かれた本丸の縄張りは、秀頼による大坂城の最終段階の姿とも推測されるのです。

馬出しの発見で浮かび上がる、豊臣大坂城の実戦的な縄張り

では、豊臣時代の大坂城の全体像は、どのようなものだったのでしょうか。

繰り返しになりますが、豊臣大坂城は徳川幕府による再築の際に盛り土で覆われ、現在、その姿を地上から直接見ることはできません。

しかし、在りし日の様子をうかがい知る手がかりがまったくないわけではありません。『大坂夏の陣図屏風』などの絵画史料や古絵図から、城の構造や当時の様子をある程度復元することができます。

ただし、城の縄張りや城下町を含めた大坂城全体の構造を解明するには、絵図や絵画だけでは十分ではありません。

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