『豊臣兄弟!』秀吉(池松壮亮)の大坂城は地下7mに眠っている!徳川が封印した“漆黒の巨城”の真の姿 (8/10ページ)

Japaaan

●1988年(昭和63年):本丸での調査により、豊臣時代の天守台石垣が確認され、天守の位置や構造を考えるうえで重要な手がかりとなりました。

●2013~2021年(平成25~令和3年):豊臣時代の石垣を調査・保存し、一般公開するための「豊臣石垣公開プロジェクト」が進められました。段階的な発掘調査により、詰丸石垣やその周辺の遺構について、詳しい調査が進みました。2021年2月には、発掘された石垣の一般公開も行われました。

●2025年(令和7年):豊臣時代の石垣を間近に見学できる「大阪城 豊臣石垣館」が4月1日に開館しました。長年、地中に埋もれていた石垣を、地下の展示空間から観察できるようになったのです。

このほか、大阪府庁や大阪府警察本部周辺などでも発掘調査が行われ、堀の跡や金箔瓦、陶磁器、石材など、豊臣大坂城の実像を考えるうえで重要な遺構・遺物が確認されています。

このなかで注目すべきは、大阪府警察本部庁舎の建設にあたっての発掘調査でした。庁舎は、大坂城大手門の外堀を渡った正面にあり、豊臣時代の大手門もさほど変わらない場所にあったと推測されています。

この発掘調査で、コの字型に囲い込んだ巨大な堀が検出されました。そしてこの巨大な堀は、大手の出入り口の前に備えられた強力な反撃拠点である「馬出し」と判明したのです。また、豊臣大坂城には大手口だけでなく、京橋口、玉造口にも馬出しが備えられていたと考えられるようになりました。

「『豊臣兄弟!』秀吉(池松壮亮)の大坂城は地下7mに眠っている!徳川が封印した“漆黒の巨城”の真の姿」のページです。デイリーニュースオンラインは、豊臣兄弟!、徳川秀忠、大阪城、お城、徳川家康、カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る