『豊臣兄弟!』秀吉(池松壮亮)の大坂城は地下7mに眠っている!徳川が封印した“漆黒の巨城”の真の姿 (7/10ページ)

Japaaan

大阪城周辺の航空写真(Wikipedia)

そこで注目されるのが、発掘調査によって得られた考古学的な知見です。ここでは、大阪城天守閣や大阪市の文化財調査資料などを参考に、地下に眠る豊臣大坂城の調査の歩みを時系列で整理してみましょう。

●1899年(明治32年):『大坂城誌』などにおいて、豊臣時代と徳川時代の大坂城の違いが論じられ、後の研究につながる問題提起がなされました。

●1959年(昭和34年):大阪城総合学術調査の一環として、本丸の地下約7メートルで石垣が検出され、豊臣時代の大坂城を考えるうえで重要な発見となりました。

●1960年(昭和35年):中井家伝来の豊臣時代の大坂城の絵図が確認され、前年に発見された石垣との比較を通じて、豊臣大坂城の復元研究が大きく進展しました。

●1960年代以降:ボーリング調査などによって、地下に埋もれた石垣の位置や地盤の状況が調べられ、豊臣時代と徳川時代の大坂城の構造を解明するための資料が蓄積されていきました。

●1984~1985年(昭和59~60年):配水池の改良工事に伴う発掘調査で、豊臣大坂城の中枢部にあたる詰丸の石垣が発見・調査されました。徳川時代の盛り土の下に、豊臣時代の城の構造が残されていることを具体的に示す成果でした。

「『豊臣兄弟!』秀吉(池松壮亮)の大坂城は地下7mに眠っている!徳川が封印した“漆黒の巨城”の真の姿」のページです。デイリーニュースオンラインは、豊臣兄弟!、徳川秀忠、大阪城、お城、徳川家康、カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る