はるしにゃんの幾原邦彦論 Vol.3 ウテナと少女革命の真骨頂にゃん (5/5ページ)
革命は、ラカン的に言えばファルス的享楽によっては為されえず、「女性享楽=大文字の他者の享楽」という外部性へ開かれるからこそ生起するものだからである。
そして最後、その鳳暁生を置いて、モラトリアムや思春期を象徴する学園という檻から自らを解放したウテナを探しに、アンシーもまたその一歩を踏み出す。
かくのごとき「少女の幻想の崩壊と、それでもなお祈りによって成就するかけがえのない女の子同士の友情=革命=永遠」を描いてみせたがゆえにこそ、本作は一方で女性からの多大な支持を得、また他方でその少女漫画的想像力に対する自己批評性によって類稀なる強度を有するに至ったわけだ。
成熟、すなわち少女がそれぞれ固有の方法で大人になること
劇場版の『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』。タイトルに青春を意味する「アドレセンス」の語が入っているように、これもまた思春期や青年期の問題を扱った作品であったと言えよう。
そちらではより解りやすく爽快に、それでいて豪快に、幻想の外部への脱出とそこに広がる「平坦な荒野」が描かれている。外部、そこでもまた彼女たちは困難に出くわすかもしれない。しかし、ラストにおいてバイクへと生成変化し、この平坦な荒野を二人で疾走する彼女たちは、仮にダーティーな世界であろうとビートニクのように、逞しくサヴァイヴしていけるだろう。閉鎖された王子様の圏域たる学園を抜け出して、彼女たちは初めて「大人」になったのだと言える。
これは守旧的な成熟とは位相を異にする脱近代的な成熟だ。
すなわち、『少女革命ウテナ』とは、か弱い少女が華麗にして魅力的な自由な大人へと成長する、極めてまっすぐなビルドゥングスロマンなのだ。にゃん。
時に愛は強く人の心を傷つけもするけれど
夢を与え 勇気の中にいつもひかり輝いて
愛は強く人の心を動かして行く
だから二人でいる きっと世界を変えるために
そしてすべては ひとつの力になる
『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』主題歌「時に愛は」より