はるしにゃんの幾原邦彦論 Vol.3 ウテナと少女革命の真骨頂にゃん (4/5ページ)

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そして『ウテナ』における分子革命とは、「ポリセクシュアリテ=性的多数多様性の解放」として顕在化する。

いかにして「少女革命」は成し遂げられたのか
ラスト付近において、ウテナは王子様と性交渉を持つ。アンシーの兄である鳳暁生=零落したディオスとだ。しかし実は、アンシーは実の兄である暁生と近親相姦を行っていたことが発覚する。そこでウテナとアンシーの友情にヒビが入る。すなわち「友情か恋愛か」の二者択一という極めて少女漫画的な主題が立ち上がるということだ。

こうして私たちは最終話を目撃する。すなわち、「少女革命」とはなにか、その真骨頂を、である。

ラストで描写される、棺桶のなかに入ったアンシーと剣の群れに串刺しにされるウテナ。それを眺める鳳暁生。これは、男性的権力構造によって女性が従属されていることを意味している。

剣とは男根であるから、ウテナはこの時点と、鳳暁生との性交の段階において貫通=姦通している。少女時代はセックスによってひとつのフェイズを終える。

しかし、それでもなおウテナは王子様であろうとする。そして泣きながら棺桶の中のアンシーを救いだした後「王子様に、なれなかったよ」と諦念を込めて述べたてるのである。だがこの瞬間、被従属的な女性であり非主体であったところのアンシーは、ウテナとの間に瞬間的永遠としての「友情」を感じるのである。

この「疑い得ない特権的な無償の愛(アガペー)としての友情」こそが「少女革命」のその意味に他ならない。ここにおいてウテナとアンシーの関係性はかけがえのない単独性=特異性へと生成変化している。

ドゥルーズ=ガタリが『千のプラトー』において映画『ウィラード』の分析として論述したように、生成変化の契機とはまず群れのなかで「特異なもの=シンギュラリティ」を見出すことで始まるのだ。

鳳暁生はその父権性と王子様からの零落ゆえにその「革命」という〈出来事〉に気づかない。

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