はるしにゃんの幾原邦彦論 Vol.3 ウテナと少女革命の真骨頂にゃん (3/5ページ)

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「個人の多数多様性の解放」する革命
従来のジェンダー規範を逃れるウテナの服装と、「守られるお姫さま」より「守る王子様」になりたいという指向性は「性別越境性」を持っている。しかし、こう記述すると一見これは一般的な秩序の安易な「転倒」に見えるかもしれない。しかし、違う。

ここにおいて重要なのは、「男でもなく女でもなく」、ウテナが志向していたのはただ、「性別など無関係に自己と他者に生を吹き込む、凛として気高く、弱き者を支える者」としての「王子様」であるからだ。そもそも「うてな」という語は「花を支えるもの」を表す語であり、よりわかりやすく言えば花びらを守る「がく」である。

批評家の小林秀雄は「美しい「花」がある、「花」の美しさといふ様なものはない」(小林秀雄「当麻」より)と述べたが、そうした個別的に咲き誇る、単独的な本性に従いその生の躍動(エラン・ヴィタール)をすこやかに伸ばした成果であるところの花、それを下支えするのがウテナなのだ。

その生き様は、それ自体が凛として咲くもう一本の花として生きることでもある。このような仕方で「潔くカッコよく生きていく」その姿を肯定する本作は、男女といった区分をもはや脱構築し含みつつ超えた「横断性」(トランスヴェリサリテ)をえがいている。

2種類ではなく各人の多種多様なるセクシュアリティが花開き、自らの力能=コナトゥスに素直に従い特異的なものになることを肯定すること──すなわち、『少女革命ウテナ』とは「n個の性」による「分子革命」を描いた作品なのだ。

「分子革命」とは、ドゥルーズ=ガタリにおいて「生成変化」と呼ばれ、そのような社会の集合的な構造に逃走線を引く特異な生存の様態、自覚的に振る舞う個人個人によって成し遂げられる変革を指している。

一言で言えば、それは「個人の多数多様性の解放」を意味している。
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