はるしにゃんの幾原邦彦論 Vol.3 ウテナと少女革命の真骨頂にゃん (1/5ページ)
私、はるしにゃんによる幾原邦彦を論じる原稿の連載第3回目では、『少女革命ウテナ』論の後編を掲載する。
前回の『ウテナ』論の前編では、永遠という幻想を欲望するウテナが、倒錯的に「不可能としての革命」を敢行し、対照的に従順な女を演じるアンシーと対になる形で、友情でつながった1つの個性として描かれている様を論じた。
では、果たして、『ウテナ』における革命とはなんだったのか? それはどのように成就されたのか?
剣術というファルス権力のバトルフィールドを変革すること
『ウテナ』では、欲望を、自我を抑圧したアンシーという究極的な太母的女性を巡って剣術によるバトルが行われる。
ここでの決闘が「剣術」によるものであることは象徴的である。単に中世的な騎士道を指し表すのみならず、剣とはもちろん精神分析学的にはやはり男根であり力の象徴である「ファルス」のシンボルであり、そのゲームフィールド上のプレイヤーの権力への志向性を指し示している。
これはもちろん、日本の近代における家父長制的な権力構造、そしてその結果としての女性への抑圧と搾取を行っている社会構造を比喩的に描出している。
このゲームにおいてアンシーには人格など認められず、一種の貨幣や褒賞のごとく物象化されている。そのゲームに、王子様になりたいと行動するウテナが参画してアンシーを手に入れようとすることは、女性の搾取を行う構造の撤廃を志向することであり、社会関係の変革、すなわちゲームフィールドの変革という意味において、これもまた「革命」と呼ばれる現象である。